さぁ、難しいテーマについて書きますよ!!(≧▽≦)
『幸せ』ってなんですか?
ちなみに、僕は今幸せですよ。
Bサイドで政治についての不満をツラツラ書いてますし、仕事で失敗をしたりもするし、身体まで壊すし、貯蓄もないし。
でも、幸せ♪
コレについては異論は認めない。
何故なら『幸せ』ってのは、その人それぞれの価値によって決まるもので、絶対的なものじゃ無いから。
つまり、不幸も幸せも同じライン上に存在していて、自分をどこに置くかで決まるわけですよ。
自分より下を見てホッと出来るなら幸せを感じれるし、上を向いて手が届かないと絶望すれば不幸に思える。そして、手が届きそうであればやる気十分になり幸せを感じ得る。
『ポジティヴシンキング』とか『ネガティヴ思考』とかあるけど、結局はベクトルの違いなだけ。
ある一点に対し、「少しでも近づいてる♪」って前を見るのがポジティヴで、「まだあんなに遠い」と足元を見るのがネガティヴ。
でも、結局いる場所もゴールまでの距離も一緒。なのに、視点が違うだけで幸せにも不幸にもなれる。
水道の蛇口を捻ったときに、にごった水が出たとしよう。
日本人にとってそれは残念すぎるわけですよ。
でも、発展途上国の人からしたら、捻って水が出てくるだけでもう幸せいっぱい、神様に祈りたくなるでしょう。
その時に「あー、この人大変なんだなぁ」って日本人なら思ってしまう。
で、そこで日本に生まれたことを幸せと思ってしまう。
実は、そんくらいあやふやでテキトーな存在なんですよ『幸せ』なんて。
つまり、幸せも不幸も身の回りに溢れていて、どこに目を向けるかだけで変わるんです♪
なんでこんなことを突然書いたかと言うと、最近のニュース(特にワイドショーなんかがそう)は、どうにもネガティヴな内容を率先して報道し、さらにそう言う風潮に流されみんながネガティヴな内容に目を向けてしまう。
僕は常々『真実は一つしかなくても、事実はたくさんある』と思っています。
それを此処から展開すると違う話に展開してしまうので別の機会として、何かトラブルとか起きたとしてもいろいろな角度から物事を見てください。
感じている怒りも矛先が変わって薄れるかもしれません。
不平不満も、実は意味の無いところに感じているのかもしれません。
あなたの知っている事実は、じつは側面の極々一部だったりしませんか?
そして、それに対して無用な怒りを感じたり、絶望を感じていたりしませんか?
怒りや絶望などのネガティヴ(怒りがネガティヴかどうか微妙ではありますが)な感情と言うのは、非常に煽りやすく目を向けてくれやすいんです。
同情をされたいがために不幸な話をするのと一緒。
幸せな話をしても同情してくれなくても、みんなも感じている不満や不安を話すと同情されやすいんです。
マスコミがネガティヴなニュースなどを率先して取り上げる一つの要因だと、僕は思っています。
同調して怒るのは非常に簡単ですが、報道されたものとかを鵜呑みにせずに良く推考してください。
まぁ、多くの場合は別の怒りがわいたりするんですけど(苦笑)
どうにも今の世は『我は不幸也!すべて世の中が悪い!』的な空気に溢れて心地が宜しくないので、ちょっとでもその清浄機になったらなぁ・・・ってことで、この記事を書いてみました。
ちょっとネタ晴らし(?)をすると、ウダウダと長く書くのも説得方法の一つで、あっちに話題を振りこっちに話題を振り頭の中をシェイクしてから本題に入ると言うものです。
つまり、何が言いたかったかというと「不幸って言うから不幸なんだよ」ってだけ♪
最近のコメント