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下手な芝居とマズいナレーション

久し振りに芝居論とか長々と書きたくなったので、暇な方はお付き合い下さい。

ありがたい事に最近は演出業として、オーディオドラマやナレーションもやってたりするので

すが、やればやるほど自分の中での芝居論みたいなのが固まってくるんですよ。
そもそも趣味・志向も多分に影響する絶対的な正解のない世界なので、あくまで一つの意見と

して受け止めて頂ければ幸いです。

最近、また学生さんのオーディオドラマの収録を見る機会がありまして、その時に感じた事と

、個人的に「??」って思ったナレーションを耳にする機会がありましたので、その切り口か

らの芝居とナレーションの差異を書き残そうと思います。

まず、前回の記事の発展系になるので読んでおいて頂けると。
http://radio-on.air-nifty.com/daily_kodaman/2017/01/post-314d.html

前の記事では、芝居が出来ているかどうかはイメージの有無だと言う事を書きました。
その失敗例として具体的に挙げようかなと思います。

●その1
『そもそも緊張しすぎてロストコントロール!』

仕方が無いです、緊張は(苦笑)
そんな緊張した子がどんな状態に陥ってたのか。
必死こいて台本をにらみ、とにかく感情を飛ばすのみ!
そう言うシーンでは良いんですけど、会話がチグハグしちゃうんですよね。
「相手の芝居を聞けてない」とか「周りの距離感をつかめずにばらついてる」って感じです。

●その2
『滑舌に意識が行き過ぎてて、おろそか』

学生の子にそれを言うのは申し訳ないんですけど……意識の半分は滑舌に囚われてるでしょ?って言うね。
恐らく本もちゃんと読んでいて、舞台やシチュエーションも把握して、キャラも落とし込めているのかもしれない。
けど、なーんにも伝わらない。
芝居終わった直後に顎とか気にしてるくらい、滑舌に全力なんですもの。
そんなハキハキ喋る人間がいるかい!!
正直、芝居の時に滑舌に意識を持って行かれるなんて論外です。
だったら個人的には滑舌が甘くなっちゃって良いです。よほど自然だし(※ただし、程度によります)

●その3
『台本とにらめっこ』

緊張しているわけじゃないんでしょうが、台本と戦っちゃってるようで……
恐らく真面目な生き方をし続けているのでしょうね。
台本を一字一句見逃さずにそれを再現してやろう!みたいな雰囲気で……
そうなるとどうなるか。
もしかしたら脚本を再現すると言う観点から見たら正解の芝居が出来るのかもしれない。
実際には、そんな肩肘張った芝居が良い物になるわけじゃないのですが。
芝居は相手があっての事。
理想で言えば台本なんて覚えてしまって相手を見ながら芝居すべきなんです。
でも、それだとマイクで録音出来ませんし、台本をガイドとしながらキャラとしてその世界で生きるためにも「みんな」と芝居をして欲しいですね。

●その4
『陶酔しちゃって「俺も見てくれー!!状態』

ある意味一番たちが悪いかもしれません。
芝居が駄目ってわけじゃないんだけど、ドヤってる芝居。
芝居のベクトルがその世界じゃなくて聴いてるこっちに向いちゃってる。
例えるならば……「TVドラマや映画で、急にカメラ目線をしてる」みたいな?
それは流石に露骨すぎるけれど、見せ場で気合が入ってその瞬間役が抜けてしまってる状態とかですね。
そりゃ自分をよく見て欲しいですからね、解ります。
でも、その結果芝居がおろそかになっちゃってたらそれは欠点ですよ?

つまるところ、芝居に集中出来て無いって話なんですけどね。
10人満たない人数の芝居でこれらの人がいたのでは、そりゃ噛みあわないわけです。
例えばですけど、一人芝居的に甘い人がいたとしても、周りがその人に合わせれば芝居は成立しますし噛みあわせられます。犠牲にするものもあるでしょうが。
でも、個人競技じゃないわけですから、逆に一人だけ芝居が上手くても浮いてしまうでしょう。
声優としてのテクニックってのがいくつも存在すると思います。
でも、純粋に芝居の根幹ってなるとテクニックよりも感受性なのかなって。
そして、その感受性は物語だけでは無く周りの役者と共感させると言う意味でも。

本当に凄い役者の、空気を支配した瞬間はゾクっとしますよね。
舞台でヤラれた時には、気付いたら涙を流してたり、観客が感情をコントロール出来ないくらい色々な物を引き出されます。
でもそれも、芝居相手だけじゃなく劇場そのものを感じ取り、その上で役が感情をしっかり出されるからじゃないでしょうか?

……劇場で泣くのはちょいちょいありますし、オーディオドラマで泣かされる事あります。
それはとても素敵な事ですし、自分が演出してるのに役者に感情を奪われるとか絶頂ものですよ(笑)

そんなわけで、学生さんの芝居を見て思った残念な失敗例の数々です。
如何でしょう?心当たりありますか?

そして今夜のもう一つの議題。
ナレーション。

棒読みの正体で-

ナレーションは、情報を聞いてる人に伝えるイメージが無ければ伝わりません。
それがコンシェルジュとお客さんの対話なのか、演説なのか、チュートリアルなのか、はたまたプレゼンなのか。
そう言うイメージをせずに原稿を読めば、ただ文字を読んだだけのものになってしまう。

-と記しました。

最近、必要以上に芝居がかったナレーションと言うか……やりたい事は判ります。ディレクターの意図も判ります。けど……悪い言い方をすると馬鹿にしてる感じがして残念だなって思ったんです。

例えるなら……子供に絵本を読み聞かせをするのに、もの凄く感情を込め過ぎてドラマティックになっちゃってる感じですかね。
幼児向けで赤ちゃん言葉を使っちゃうみたいな。

変に抑揚をつけたり、ニュアンスを入れ過ぎちゃってるんですよね。
キャラナレをしてるんじゃないんだから、もっと素直にやった方が魅力的だと思えちゃったんですよね。

ただまぁ、これに関してはディレクターの趣味も多分に作用する点なのでナレーターの責任とは言えないのですから、あくまで僕の主観での話としておいて下さい。

声優もナレーターも『伝える』と言う部分では根は同じだと思います。
けど、芝居と言うのはその世界がありき。ナレーションと言うのはお客がありき。
それぞれ同じような事をベースにしながら意識するポイントやベクトルが全く違う、似て非なる物なんですよね。

演出をしていても似たような言い回しを使う事があります。
『何をどう伝えたいの?』

原稿なんて文字だけのものです。
それなのに、芝居とナレーションでこうも違うものかと痛感します。
そして、だから面白い!

これからも僕は、芝居でもナレーションでも演出をして行けたら幸せだなと。
その為にも、感性を磨き、知識を蓄え、精神状態も良好を保ち、人と接する事を楽しんで生きて行こうと思います♪
どれを欠いても、正しくイメージを感受出来なくなりますからね。

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